1945年3月10日東京大空襲
東京・下町地域への空襲で、約10万人が亡くなりました
今朝、朝刊の裏面を開いて驚きました。
1945年3月10日の新聞が載っていたからです。
東京新聞が現在の視点で編集したものを載せていました。
新聞によりますと、
十日未明の東京・下町地域へに空襲では、約十万人がなくなったとみられる。一晩の死者としては未曾有の犠牲者数となった要因としては、都市からの退去禁止や空襲時の応急消火義務を定めた防空法の影響、米軍の周到な作戦が考えられる。
「空襲時も逃げずに火を消せ」という法の趣旨は、地域でのバケツリレー訓練などを通じ、市民の頭に叩き込まれている。実際に空襲に遭っても、その場に踏みとどまって消火活動に努めたために逃げ遅れた人が多かった可能性がある。
そんな”きまり(空襲時も逃げずに火を消せ)”のせいで、逃げることもできなかったなんて…
どうかどうか、同じことを繰り返さないで欲しいと願うばかりです。
東京大空襲の話ではないですが、母から聞いた話ですと、B-29はだいぶ低空で飛んでいたそうで、学校の帰り道で襲撃に合い、一緒に帰っていた従姉妹が振り返ったら倒れて亡くなっていたということを話ていました。
空からりんごや人形の形をした爆弾が落ちてきたという話も聞きました。
このような紙面を絶対に見ることがないように、平和な世の中が続くようにと願うばかりです。
そんな今日、次女が研修旅行でアメリカへ旅立ちました。
複雑な心境ですが、無事に着くことを祈っています。
羽田空港からだったので、お見送りに行ってきた次第です。
そのことは明日にでも書きたいと思っています。