『送別歌』宝田明さんの本を知人から頂いて感激しております!

なんと!! 私の名入りのサインを書いて下さっていたので・・・(;_;)

私の名前を書いて下さってあったのも感激したんですけれど、宝田明さんの お言葉「不戦不争」の文字が書かれてあったのにも胸が熱くなったのです。

「不戦不争」
「戦わない、争わない」

誕生日が12月8日ということがあるからでしょうか、伯父の御霊が靖国に祀られていて幼き頃より参拝していたからでしょうか、「戦争反対」の気持ちが強いことがあるからでしょうか、「不戦不争」の言葉が心に響き渡りました。。。

自分の名前と共に、この言葉が書かれているというのも、きっと何かがあるんだろうなって 勝手にそう思ったりしちゃって…

伯父が亡くなったとされているルソン島が台湾のすぐ下なんだなというのを、最近になって知ったのです。
もっと下のほうかなという認識だったので。

ルソン島に一度行ってみたいと、ずっと言っていて願いが叶わなかった母。
今となっては、あの世で、大好きだったお兄さんといっぱい話をしていることでしょう…

母と同じ世代の宝田明さん。
1934年(昭和9年)4月29日生まれ。
朝鮮生まれの満州育ち。


8月15日の翌日から旧満州のハルビン無政府状態となり、ソ連軍が入城し・・・って、まるで『大地の子』そのものではありませんか。

お兄さんが乗っているかもしれないと日本兵が乗せられた貨車に近づいたところ、ソ連兵に狙撃され、弾が大地に1回バウンドして脇腹に入ってしまい、化膿して腐ってきたので、元軍医の手によって 麻酔なし、裁ちバサミで脇腹を十字に切って弾丸を取り出したという一命を取りとめた体験を持っていらっしゃいます。

今でも天候によって傷口が痛むそうです…
どんなに偉大な作曲家がいようとも、素晴らしいバレリーナや俳優がいようとも、ソ連と聞くと受け入れられないトラウマもあるそうです。

自分の中では、ゴジラの宝田明さん、ミス・ユニバースの司会の宝田明さんの印象しかないので、大変な少年時代を送られていたとは夢にも思いませんでした。


小さい頃の楽しみは映画館で『ゴジラ』を見ることでした〜
その主演の宝田明さんがカッコよくて!!
もしかしたら、初めて恋心を抱いたのは宝田明さんだったかもしれないな〜

この年になって、憧れの人からサインを頂けるなんて思ってもみなかったですよ。
知人に感謝ですけれども。
どういう知り合いなのかを、今度ちゃんと教えてもらおうかな〜

この間見た『羅生門』で凄い演技を見させてもらった三船敏郎さんと仲が良かったそうですし、森繁久彌さん、日野原先生とも親交があったそうです。

ミュージカル俳優としても名を馳せた宝田明さん。
『葉っぱのフレディ~いのちの旅~』、見てみたかったなぁ…


これから『送別歌』をじっくりと読んでみたいと思います。

そういえば、今日はフレディ・マーキュリーの命日だなぁ〜
1991年に亡くなったので、没後30年。
もうそんなに経ってしまったのか…
今のこの世界を見たら、どう思うんだろうなフレディは…

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