矢追純一さんが日本で”UFO”という言葉を生み出しだということを今更ながら知りました…
BS12トゥエルビで放送された『スナック 胸キュン1000%』に矢追純一さんが出演されたのを見て知った次第です!!
先週の日曜、『超ムーの世界』はやっていないよなとBS12トゥエルビの放送覧を確認していたら、”矢追純一”という文字が目に入ってきたのです。
目をこすり、こすり、もう一度よく見たら、やっぱり”矢追純一”の文字が。。。
ゴルフ番組ではなく、なんの番組をやるのだろうか??
『スナック 胸キュン1000% ママこの人つれて来た!』という、80~90年代にときめいた有名人が訪れ、常連客とママ・中村静香と共に その当時を振り返るという番組。
常連客のハマカーン浜谷が連れてきたのが、そうあの UFOブームの火付け役でもある矢追純一さんだったのです!!!
久しぶりにお顔を拝見する矢追純一さんは若々しく、全く年を取っていないようでした…
何かに興味を持ち続け、好奇心を忘れない人は年を取らないのはなんでなんだろう??
不思議?!
矢追純一さんは1935年7月17日生まれの84歳。
驚愕、84歳とは?!
今更ながらですが、我が父と同じ年だったんだなぁ〜
いつもお若く見えていたので、まさか、そんなお年とは思ってもいなかったので。
矢追純一さんは、エレベーターボーイをしていたときに知り合った方の導きもあり、1960年に日本テレビに入社します。
最初はドラマ制作担当だったのが視聴率が悪いため、深夜に放送されていた”11PM”の担当となったそうなのです。
「道行く人がね、日本人って前をまっすぐ見たまんま急ぎ足で歩いている。どうしてこうなのかなと思ったときに、多分精神的に余裕がないんだよねと思って、このまま行くと日本は行き詰まっちゃうぞと思ったから、たまには立ち止まって空を見ろよという番組を作ろうと思った。だけど、立ち止まって空を見る番組ってエンターテイメントの深夜になんかできないじゃん、どうしようかなと思っていたときに本屋さんで空飛ぶ円盤の本を見つけた。」と、矢追さんは言います。
イイことを言います。
全くその通りです。
なかなか空を見上げることはないですからね。
そこで、空飛ぶ円盤の本が目に止まったというのも何かのチカラが働いたのかもしれません。
「なんでもかんでも結論出せばいいってもんじゃない。UFOの番組ならUFOが出なくちゃいけないというのはおかしいんだよね。そういうことじゃないだろうと。それはなんだろうと思って興味を持っていくところが面白いわけ。
今のディレクターって結果を先に作ってしまうから全部見え透いてしまい、だからきっと今のテレビって面白くない。」
UFOを屋上に呼ぶロケというのも矢追さんが初めて試みたそうで、日本で初めて屋上にカメラを持って行ったのも矢追純一さん。
そのロケで実況をしたのが、なんと、入社したばかりの徳光和夫さんだったんですって。
スプーン曲げで有名な超能力者ユリ・ゲラーを最初に日本に呼んだのも矢追純一さん!!
ニューヨークに心霊科学研究所というのがあり、超能力者アレックス・タナスのインタビューを取りに行った時、そこで知り合った女性に紹介されたメラニー・トヨフクという人がユリ・ゲラーの秘書だったのだそうです。
こういう巡り合わせは、偶然ではなく必然だったのでしょう。
インタビューをしにユリ・ゲラーを訪ねて、エレベーターを降りてから どこの部屋かなと探していると、いきなりドアが開きユリ・ゲラーが飛び出してきてハグをし、「おまえが来るのは何日か前に夢で見て知っていた」と言い、やぶから棒に「前世は俺の兄弟だったんだよ」と言ったそうなんです。
この話を聞いていたら、鳥肌が立ちましたねぇ〜〜
逢うべくしてめぐり逢ったとしか言いようがありませんからね。
こうして聞いてくると、矢追純一さんが日本テレビに入社していなかったら、ユリ・ゲラーを日本に呼ぶことはできなかったのではないでしょうか。
そうか、エレベーターボーイをしていたときに、日本テレビに導いてくれた方が なにかしらのチカラを持っていたのかもしれません。
そして、UFOという言葉も日本で使われていなかったかもしれません。
”空飛ぶ円盤”とか”未確認飛行物体”と言っていたのでしょう。。。
スナックのママ・中村静香さんが「富士山でよくUFOが目撃されているのはなぜですか?」の問いに、「富士山はよく見るから、そこにたまたまUFOがいると見つかりやすい。あと、UFO目撃って 海岸線は広いので空に目が行くので多い。東京だとまず分からないと思う。」と答えていました。
「なるほど、そういうことか」と、スゴく納得をしている自分がいました。
最後にボトルメッセージに【宇宙塾】と書いた矢追純一さん?
矢追純一さん、ありがとうございます!