『太陽にほえろ!』ボン役 宮内淳さんの訃報により地球環境問題に取り組んでいたことを知りました…
久しぶりに見た最近の宮内淳さんのお姿は、若い頃の面影は無く、穏やかな雰囲気になっていて驚いたんですね。。。
「あの人は今」的な番組である『爆報!THEフライデー』が大好きなんですけど、宮内淳さんのことはやっていないんじゃないかな?、メディアに出ているところを近年は見ていないんじゃないかなと思い返しているところですが。
兎にも角にも、『太陽にほえろ!』が大好きでしたねえ・・・・・(遠い目)
自分の中ではボン刑事とラガー刑事の殉職シーンが印象に残っているんです。
号泣したことを覚えています。
あまりにも有名な松田優作さんのジーパン刑事の殉職シーン。
「なんじゃ、こりゃああ〜〜」
神田正輝さんが大好きだったことで、『太陽にほえろ!』の撮影現場である国際放映に行ったことがあり、神田正輝さん、沖雅也さんとツーショット写真を撮ってもらったり、サインを頂いて有頂天になったことも思い返されます。
ちょうどその時に通りかかった、竜雷太さん、小林桂樹さんもお見かけすることできました。
『太陽にほえろ!』のボン役で有名になった宮内淳さん。
今でこそ、ボンって言えば宮内淳さんがすぐに浮かぶくらいに染み込んだニックネーム。
それほどに、あの頃の『太陽にほえろ!』の存在も大きかったのでしょう。
『太陽にほえろ!』に出演後、『地球キャッチミー』、『ザ・プレゼンター』等の番組で80カ国をまわった経験から、地球環境問題と子どもの情操教育に力を注ぐ活動をされていたとは、全く知りませんでした。
1982年に影絵劇団『かしの樹』を設立し、宮内淳さんは主宰をされていました。
1989年からNHKテレビ『おはなしのくに』、『こどもにんぎょう劇』などの番組で影絵劇の上演を開始。
自分が教育テレビが大好きなこともありで、子どもが小さい頃はずっとお世話になりまして、『おはなしのくに』はよく見ていたので、あの影絵は宮内淳さんがされていたんだということを今更ながら、宮内淳さんが亡くなったことにより知ることになるなんて、この世は摩訶不思議としか言いようがありません。
影絵といえば、木馬座という認識が強いので、てっきり木馬座がしているのかなと思っていました??
そして、地球環境問題に取り組んでいた宮内淳さん。
公益財団法人『地球友の会』の代表理事をされていました。
素晴らしい取り組みをされていたんですね。
『地球友の会』は、さまざまな活動を通じて地球環境問題への理解を深めると同時に、真に幸せな生活、豊かな人間像というものを見つけてゆきたいと考えています。
私たちが迷っていることも、求めている答えも、初めから地球という母体の中にあるように思います。この母なる地球を手本にして、本当に豊かで幸せになるために、多くの活動を行なってゆきたいと考えています。
秘境といわれる地球本来の姿を持つ土地に 多く訪れた宮内淳さんは、そこに住む人々と触れ合ったことにより、人間の豊かな生活とは何か、幸せな生活とは何かの答えを見つけ、実践する会をつくろうと考えたのだそうです。
まだまだ、やり残したことがいっぱいあったことでしょう。
様々の危機を乗り越えていかなければならない これからの時代、宮内淳さんのような方がいてくれないと困ってしまいますよ。
『太陽にほえろ!』で、一躍有名になった俳優から、このような素晴らしい活動をして行くようになったのには、それだけ心に響く何かが動いたのでしょうね。
宮内淳さんは、8月14日に直腸がんのため お亡くなりになりました。
70歳でした。
殉職のシーンを動画でもう一度見させていただきました。
ボス(石原裕次郎さん)が、ボン刑事の手を公衆電話の受話器から外していくシーンに、またまた号泣。
宮内淳さんのご冥福をお祈り致します。
どうか、どうか、天国より地球の平和を見守って下さい。
よろしくお願い致します。