『東海道五十三次/藤沢宿』を色々と見ていたら、義経・弁慶にたどり着いちゃうなんて思いもよりませんでした…
最近ちょっと氣になってきている『東海道五十三次』…【遊行寺】も氣になって色々と見ていたら…
歌川広重の浮世絵に描かれている【藤澤 遊行寺】。
時宗の総本山である清浄光寺は【遊行寺】とも呼ばれているのだそうです。
清浄の文字を見ると、どうしてもすぐに【六根清浄】が浮かんできます!!
「六根清浄お山は晴天」を唱えながら富士山を登ったことが蘇ってくるんですよね…
NHK連続テレビ小説の再放送『本日も晴天なり』で、主人公/桂木元子(原日出子さん)の同期生/立山のぼる(有安多佳子さん)のあだ名が、「立つ山にのぼる」という名前から連想した【六根清浄】と呼ばれた時は、もうビックリしちゃって飛び起きちゃいましたけどね!!!
私のあだ名も【六根清浄】にしてもらいたいな…なんて思っちゃいました!
浮世絵に描かれている鳥居は江ノ島弁財天の入り口を示しているそうですし、橋を渡っている人たちは江ノ島詣、大山詣に向かっているとのことですし、とっても氣になる宿場だなと思ったのです。
お山の上にある【遊行寺】は立派に描かれているではないですか!
その【遊行寺】の近くにある【常光寺】には武蔵坊弁慶の首塚跡と伝わる寺の裏にある塚があるというではないですか…
そして、【常光寺】から少し行ったところに義経首洗井戸まであるなんて…
ホント もうビックリ!!
義経、弁慶の首が夜の間に白旗川を上り、白旗神社がある地へたどり着いたと言われているそうなのです…
文治5年(1189)閏4月30日、源義経公は兄源頼朝から怒りをかい、追い詰められ、奥州(岩手県)平泉の衣川館において自害されました。
その首は奥州から新田冠者高平(にったかじゃたかひら)という者によって鎌倉に送られました。
高平が、腰越の宿(鎌倉市)に到着すると、そこで和田義盛・梶原景時によって義経かどうか確認されました。
伝承では、弁慶の首も同時に送られ、夜の間に二つの首は、白旗川を上り、この地に辿り着いたといわれています。このことを頼朝に伝えると、白旗が源氏の旗であったことから、白旗明神としてこの神社に祀るようにと指示しました。
http://www.shirahata-jinja.jp/
こうして義経公を神様として祀ることとなり、のちに白旗神社と呼ばれるようになりました。
弁慶の首は、白旗神社のそばに八王子社として祀られることになりました。
『やりすぎ都市伝説』を見てから安徳天皇が氣になっていて、2017年に行った【高松平家物語歴史館】の写真を見ていたら、かの有名な一の谷「鵯越え」が出てきて、ちょうどう義経・弁慶を見たばかりだったので、リンクしちゃって怖くなりましたけどね。
ショックで驚いたのは、【高松平家物語歴史館】が2019年に閉館されていたとは。。。
機会があったら、もう一度じっくりと見たかったのに、残念でなりません(/ _ ; )
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