大晦日で大忙しでしたけど『日枝神社』様の”大祓”に参加させて頂いて心身の穢れを祓い清められてスッキリ致しました〜
だいぶ悩んだんですけど、行きたい気持ちが勝って大祓をして頂いて佳き一年の締め括りとなりました!!!
毎年、大晦日に行うことが大体 決まっているもので、頭に一瞬「『日枝神社』様の”大祓”に行きたいな…」と浮かんだとき、時間的に無理だもんな…、どうしようかな…
でもでも行きたいな…
最終的に、行きたい気持ちが勝って、行くことに決めましたけれども、
「開始時間に間に合わないかも…」、「うわっ どうしよう、どうしよう」という気持ちを持ちつつ向かった次第なんです。
新宿に洋服を見に行きたいという長女も『日枝神社』様の”大祓”に参加したいということになり、一緒に行ってくれたのが救いでしたけれども。
時間的に無理かもという、いろいろな経緯がありましたけど、なんとかなんとか”大祓”の時間に間に合い、最初から参加することが出来ました!!
写真に撮ることが出来なかったのが残念でしたけど、空には大きな大きな龍神様が姿を現して下さったんですねぇ〜
あああ、”大祓”に参加することが出来て、本当に良かったと感じました…
茅の輪の起源
https://www.hiejinja.net/events/oharai/
昔、北の海に住んでいた武塔の神が、南の海の神の娘に逢いに出かけ、途中で日が暮れてしまった。その地には将来という名の二人の兄弟がいて、兄の蘇民将来は甚だ貧しく、弟の巨旦将来は百の蔵を持つほど豊かだった。そこで武塔の神は一夜の宿を乞うたが、豊かな弟は宿を貸さず、貧しい兄は宿を貸し、粟柄で席を作り、粟飯などの御馳走でもてなした。その後何年か経て、武塔の神が八人の子供を連れて再訪して、「昔の親切に応えよう。お前の子供は家にいるか」と言い、蘇民将来が「私の娘と妻とがおります」とお答えすると、「では茅の輪を作って腰の上に着けさせろ」と言った。命じられるままに茅の輪を作って腰に着けさせると、その夜、蘇民の娘ひとりを残して悉く滅ぼされてしまった。そして「吾は速須佐雄の神である。後の世に疫病があった時には、蘇民将来の子孫だと云い、茅の輪を腰に着けた者だけが免れよう」と言った。
6月30日に初めて参加させて頂いた『日枝神社』様の茅の輪くぐり。
『日枝神社』様は、江戸城の鎮守として徳川家の崇敬は特に篤かったといいます。
大晦日に、長女と一緒に茅の輪くぐりが出来て良かったです\(^o^)/
壬寅の年、最後の日にお参りできたことに感謝致します!!!
帰りに、神楽坂の『赤城神社』様に、願い込めて付けていた水引ブレスレットが自然に解けたので、返納もさせて頂きました。
また違った大晦日を過ごし、大変に忙しかったですけれども、佳き時間を過ごすことが出来て良かったです!!!
新宿にお買い物に行ったことは、またの機会に書いてみたいと思います。
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