『横浜ローザ』を見てきました
赤レンガ倉庫1号館3階ホールに初めて入りました!
以前より気になっていた、五大路子さんのひとり芝居『横浜ローザ』。
白塗りのメリーさんこと”ヨコハマメリーさん”をどのように演じるのか、ひとり芝居でどのような構成になっているのか、一度見てみたかったのが、やっと実現しました。
赤レンガ倉庫には、何度も行っていますが、1号館3階にあるホールには今日初めて入りました。
壁一面がレンガのホールは、とても趣きがあり、重厚感があり、『横浜ローザ』のお芝居に合っているなと感じました。
平日といえども、お盆休みだからでしょうか、席は満席状態でした。
けたたましい爆撃の音・サイレンの音で幕をあがったお芝居。
戦争が生んだ悲劇の幕開けのようにも感じられました。
劇中、五大路子さんは、”ヨコハマメリーさん”はいろんな呼び方をされていたけど、一番好きなのはローザなのと言っていたので、ローザと呼びます。
玉音放送とともに、「日本はなくなる。日本はなくなる。」と言っていたローザ。
あの凄まじい戦いに負けたのですから、日本が植民地、日本人が捕虜になってしまう感覚だったんでしょう。
ローザは小学校長の娘で、広島で結婚していたというのも初めて知りました。
お嬢様育ちではないかといわれてたのが、事実だったのだと。
旦那さんが戦犯ということで裁判になり、ローザはGHQの本拠地である横浜に来たのです。
お姑さんとの折り合いも悪いこともあって、広島に帰りたくないというローザに旦那さんは「勝手にせい」と言い放った。
どんなにか心細く、そして、「それなら、もう広島には帰らないぞ」となってしまう気持ちがわかります。
それから、悲劇が起きてゆく。。。
お姑さんは晩年、横浜にローザを訪ねてきて、一緒に暮らし、ローザが看取りました。
その時知った 戸籍謄本で、旦那さんが昭和50年に交通事故で亡くなるまで、婚姻関係は続いていたそうなんです。
「勝手にせい」と言い放ったのは、広島に帰りたくないと言ったローザの気持ちをくんでの愛情表現だったと知った時。。。
あの時、違った表現、時の流れがあったら、全然違う人生があったのだろうに。。。
紙一重、女の人生は紙一重
生きていると、いろいろな時が過ぎ去り、いろいろな時に遭遇する。
数奇な運命だなと、お芝居をみていて、胸がギューーーーーっと締め付けられました。
白塗りになったローザ。
戦争が生んだ悲劇。
五大路子さんの熱演、素晴らしかったです。
「ブラボー!」の声がかかっていました!!
「ローザ!」「五代!」の声も。。。
五大路子、ローザの世界に惹き込まれる時を過ごすことができて感謝です。
先日の防災管理講習の時にランチを食べた『バンビ』さんで、ご飯を食べました!
昭和レトロな感じが落ち着きます。