海老一染之助さんの訃報に、またひとつの時代が終わったような気がしました
和傘を巧みに使い、お兄さん染太郎さんとのコンビが絶妙でした!
12月6日午前11時31分、肺炎のためご自宅で亡くなられたそうです。
いつまでも若くて元気な印象が強かったので、83歳だったのを知って驚きました。
海老一染之助・染太郎さんの元気な声で「おめでとうございまーす!」から始まる和傘を使った芸を見るのが、お正月の楽しみでありました。
海老一染之助・染太郎さんの芸を見ると、おめでたい気持ちになり、いい年になりそうで元気をもらえていました。
まさしく、お正月=海老一染之助・染太郎さん
と、いうのも過言ではありませんでした。
お二人が画面に現れると、パーッと明るいオーラが出てきて、キラキラと金色の光がさしているように見えました。
染太郎さんのギョロッとした大きな目が印象的で、染之助さんの芸が成功すると、
「ありがとうございまーす!」と、見事な掛け合いでした。
木の棒を口にくわえ、土瓶を上にのせる時の染之助さんの真剣な眼差しが印象的でした。
こちらまで、”ウッ”と力が入って、成功すると”ホッ”と力が抜けたものです。
染太郎さんが2002年に亡くなってから、テレビであまりお見かけしなくなりましたが、
染之助お一人で活動されていたそうなんですね。。
旦那の転勤で、長野県に住んでいた頃、ジャスコに染之助・染太郎さんが来て、芸を披露してくれました。
ちょうど買い物に行ったら、イベント広場にお二人がいて、もうびっくり仰天で驚いたのなんのって。。
目の前で、あの素晴らしい曲芸を見ることができて、今となっては とても貴重な時間を頂けたんだなと有り難く思っています。
イベントが終わり、握手を求めてお二人のところに行きましたら、
染之助さんが、あの素敵な笑顔で握手をして下さり、
娘に「小学2年生くらいかな?」と、声をかけてくれました。
娘は その頃 幼稚園児で、背も低いほうでした。
もっと背が伸びたらいいなと、本人は思っていたところでしたので、
「小学2年生くらいかな?」と、言ってもらえたのが天にも昇るくらいに嬉しかったようです。
それから娘は、染之助・染太郎さんが大好きになり、
「染之助さんから「小学2年生くらいかな?」って言ってもらった!」と、ずっと言っていました。
染之助さんがかけてくれた言葉によって、
娘にとって、自分に自信を持てた素晴らしい出来事になったのです。
ありがとうございました。
海老一染之助さんのご冥福をお祈りいたします。