『旧東海道歴史あらかると』の講座に参加してきました!
体調もなんとか良くなって安心しました…
朝起きた時、胃が重いのは残っていましたけど、熱もなく頭痛も治っていたので、なんとか家事もできて、この分だと今日の予定の『旧東海道歴史あらかると』の講座に参加できるなと胸をなで下ろした次第なんです。
朝食を食べ終わると、胸のムカムカ感、お腹がゴロゴロしてゆるいのが気になり始めました。
講座を聞いている途中、お腹がゴロゴロしたらどうしよう、トイレに何回も行く状態になったらどうしようというのが心配でしたけれども。
それにしても、一体なんなんだろうか?!
「やっぱり食べ過ぎかな」というのが頭をよぎりました。。。
旅行で美味しいものをめいっぱい食べ、胃の許容量をはるかに超えていたし、旅行から帰ってきてすぐに夕飯にカレーを作って、それもめいっぱい食べたし…
あっ、ナンを凍らせておいたものを解凍して食べたけど、一瞬それがいけなかったのかな?なんて頭をよぎりました。
何はともあれ、病院に行くほどの症状はなくなり、旅行の疲れと、胃が悲鳴をあげたのかなということで自分的な診断をくだしました。
そんなこんなで、家に来ている次女が「カラダが痛くて、整体に行きたいな」と言っています。
働き始めて半年が経ち、緊張の連続でカラダが悲鳴をあげているのでしょう。
「それだったらお母さんが行っている整骨院は先生もいいし、とてもいいよ」と話たら、
「行きたーい!」ということになり、講座に行く前に整骨院まで連れて行くことに相成りました。
ちょっとバタバタ。
ちょっとあたふた。
お腹ゴロゴロ。
緊張、緊張、キンチョール。
先生に娘を託し、
「私は、ちょっと出かけるので」と、言い。。。
先生は「?」というお顔。
「あれ? お母さんは治療しないで帰っちゃうんだ」というお顔。
まあまあまあまあ、治療したかった気持ちは山々でしたけれど、講座に間に合わなくなっちゃいますので。
ということで、なんとか講座の開始時間に全然間に合って、ホッと一息。
『開国への激動期と鶴見「横浜開港と生麦事件」』と題して講義が始まりました。
今まさに、大河ドラマ『西郷どん』でやっている時代です。
生麦事件は薩摩藩が起こした事件。
薩英戦争にまで至ってしまった。
4人のイギリス人は観光で川崎大師に向かっている途中だった。
知らなかったのは、東海道付替という計画があったということ。
生麦事件により、外国人通行の保護策の1つとしてこの計画が持ち上がったそうです。
現在の国道246号線が東海道付替計画にされていた道だったということ。
宮益町→中渋谷→(国道246号線)→上目黒→池尻→太子堂→用賀→二子→溝口→下作延→荏田→市ヶ尾→長津田→鶴間→瀬谷→草柳→小園→河原口(海老名)→厚木→(相模川右岸を南下・129号線)→酒井→戸田→大神→八幡→平塚新田
この計画が中止に至った理由は、幕府財政の圧迫、横浜鎖港議論、めまぐるしい幕末の政治情勢など。
アメリカの反応では、「乗馬せんと欲する人の為に競馬を乗り試むるの一道を造り」ということで、横浜における競馬開催・根岸競馬場の竣工に至ったそうです。
何回か根岸森林公園でランニングをしたことがあり、馬の博物館があるんだなとは思っていたんですけど、そういう歴史があったことを知りました。
異文化接触のお話も興味深かったです。
亨保14年にベトナムから象がやってきて、多摩川(六郷川)をどうやって渡ったかとか、象の糞で疱瘡に効く薬を売ったなど面白いお話も聞くことができて、とても楽しかったです。
あっ、ラクダのおしっこを目薬として売っていたお話にもビックリ仰天ニュースでした(^_^;)