『なまむぎ今は昔』〜旧東海道歴史あらかると〜
第2回目の講座に参加してきました(^o^)v
今日は、郷土史家のサトウマコト先生の講義で、教室に入ってすぐに、4冊の本が手渡されました。
一瞬、「えっ、教科書??」
そんなにすごい勉強をするのかなと。。。
なんと! その本は無料でいただけるということで、とても驚いてしまいました。
思わず、「えっ、いいんですか」と言っていました。
こんな素敵なサプライズがあるなんて思ってもいなかったものですから。
なんと、太っ腹なんでしょう!!
そのようなサプライズのプレゼントをもらったことがない私は、とても感激して、ルンルン気分で講義を受けることができました。
なんと、単純。
自分の住んでいる場所の歴史を知るのは、とても面白いことです。
鶴見川は、日々 潮が満干するので舟運に恵まれ、真水と海水の交わる下流部は漁にも恵まれていた。
しかし、潮のため川の水を農業用水に使用できず、ため池を作って雨水をためて米作りをしていたそうなんです。
飲み水もため池の水を使っていたとの話で、「え〜」と言う声が漏れ聞こえてきました。
その ため池で有名なのが、鶴見にある三ツ池などで、今では、三ツ池公園として区民の憩いの場所になっています。
三ツ池公園は桜の季節には大勢の人が花見に訪れます。
小学生の頃、よく遊びに出かけて、みんなでバドミントンをやった楽しい思い出がある場所です。
そんなことを講義を聞きながら想い出していました。
鶴見川には『貝殻浜』という、貝の殻が積み重なってできた浜があるんです。
近くを通ったことはありますが、浜まで降りて実際に見たことはないので、今度見に行ってみようかなと目論んでいますが。
ということで、貝がいっぱい取れたり、のりの養殖をしていたということを知った次第です。
【面白い先生の余談】
貝つながりから、インディアンの頃、ニューヨークあたりでも牡蠣がいっぱい取れていたそうで、牡蠣の貝殻の山があったというお話。
先生の知人は、ニューヨークに住んでいたからか、この話を一切信じなかったそうです。
忌部名族……中世鶴見川流域の開拓者たち
四国阿波の忌部名族の一部が房総半島に移住し、千葉がある右へ行こうとしたら左側が生麦だったということで、間違えた忌部名族の一部が生麦に住んでいたそうで、麻の種などを四国の忌部名族からもらったということ。
川崎市の麻生区は、麻を育てた場所ということが由来だそうです。
青葉区の鉄町(くろがねちょう)も、やじりを作っていた場所というのが由来ということ。
忌部名族が開拓していった場所には杉山神社があるということ。
杉山神社と称する神社は、全国でも横浜市と川崎市、特に鶴見川流域にのみ散在鎮座し、数十社が現存する。
東京都の町田市のほうまで伸びていった。
鶴見神社も古くは杉山大明神(杉山神社)といわれていた。
杉山神社の名残りが4月29日行われる田祭りだということ。
住んでいても知らないことばかり。
でもでも、知るってことは、とっても面白いことです(*^^*)