『延命院 胴塚』に行くことが出来て嬉しかったです!!!
この地に将門公の遺体を葬ったのかと思うと なんとも言えない気持ちになりました…
平将門公の遺体をひそかに神田山の延命院境内に葬ったのが、この胴塚と伝えられています。
将門は、天慶3年(940)2月14日の合戦を迎えて、石井の北山に最後の布陣をします。
https://www.city.bando.lg.jp/
最初は風上に立って優位な戦いでしたが、急に風向きが変わり、正面から突風を受ける立場になったとき、敵の矢を受けて倒れました。
その首は藤原秀郷によって京都に送られ、東市にさらされたといわれています。
残された将門の遺体をひそかに神田山の延命院境内に葬ったのが、この胴塚と伝えられています。
この地は、相馬御厨の神領だったことからあばかれることなく、今におよんでいるといわれています。
胴塚が神田山(かどやま)にあり、将門公をお祀りする神社が『神田明神』様というのも不思議な繋がりを感じざるを得ません。
そして、そして、驚いたのが、『安房神社』様と『神田明神』様につながりがあったことに驚きを隠せませんでした!!!
『安房神社』様は天太玉命様をお祀りしていて、『洲崎神社』様は天比理乃咩命様をお祀りしており、天太玉命様の后神が天比理乃咩命様という繋がりがあります。
関連している氏族が忌部氏!!
戦国武将・太田道灌は安房国の洲崎明神を江戸の鎮守として勧請したという。
https://www.yoritomo-japan.com/
軍記『永享記』には「神田の牛頭天王と洲崎大明神は安房洲崎明神と一体」とあって、神田明神のことであるともいわれている。
先日の東海道ウォーク月例会で行った『洲崎大神』様の拝殿の扉が開いていてお参りできたばかりで、このような事実を知ることになって、鳥肌モノと相成りました。
将門公様、【天太玉命 (あめのふとたまのみこと )】様、忌部氏様、有り難うございます。
胴塚の後ろにある天然記念物【かやの木】が見事でした…
その【かやの木】の下に円墳(将門山古墳)があって将門の胴体が眠っているとされています。
観音堂の中を見させて頂きましたら、閻魔大王様もいらして驚いてしまいました〜
【2023年6月20日(火)】
今日も久しぶりに皇居ランをすることが出来ました!!
スカイツリー、東京タワー、楠木正成公、平将門公、和気清麻呂様、北白川宮能久親王様に手を合わせながら走ることが出来て嬉しかったです \(^o^)/
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