レスリー・マッコーエン死去の知らせを友人からもらい呆然としております…
ベイ・シティ・ローラーズのリードボーカルとして一番人気のあったレスリーが突然亡くなってしまいショックを隠しきれません(;_;)
今朝、友人から連絡をもらって、レスリーの死を知りました。
友人が知らせてくれなかったら、今も知らないままだったでしょう。
メールを読んでからスマホを握りしめたまま、呆然と立ち尽くしてしまいました。
2018年に来日公演をしたのは知っていて、今度来日したら、ライブに行ってみたいなと密かに思っていたのに、レスリーが亡くなってしまったので、望みは叶えられなくなってしまったわけです。。。
2015年に、アラン・ロングミュアーと一緒に来日公演を行っていたのか思うと、今更ですけど行っていれば良かったなと後悔先に立たずです。
アランはメキシコで休暇中に体調を崩し、スコットランドへ帰国後、入院していたエジンバラの病院で2018年7月2日に亡くなりました。70歳でした。
そして、イアン・ミッチェルが昨年2020年の9月1日、咽頭がんのため62歳で亡くなりました。
アラン、イアンの訃報にも驚きを隠すことが出来ず、青春の1ページが無くなってしまったようで、深い悲しみが襲ってきたのを覚えています。
今日も深い悲しみが襲ってきています。
ラジオから流れてきた『バイ・バイ・ベイビー』と出会わなかったら、今の自分はいなかったと言っても過言ではないくらい、人生を変えてしまった音楽なのです。
あのとき、『バイ・バイ・ベイビー』に氣が向いていなかったら、違った人生を歩んでいたでしょう。
ベイ・シティ・ローラーズとの出会いは、人生の中でとても重要なことだったのです。
そのベイ・シティ・ローラーズのリードボーカリストであったレスリーが亡くなったということは、身体の一部が無くなってしまったような、そんな感じがしてしまうのです。
武道館に初めてライブに行った時、同じ空間にいる、同じ空気を吸っている、あのローラーズが動いていると思ったら、涙と汗で頭がクラクラして一瞬倒れそうになりました。
もしかしたら、失神寸前だったのでしょう。
一緒に『サタデーナイト』を歌ったときは、大興奮状態。
一生にうちに一度はスコットランドに行きたいという夢を持ち続け、やっとのこと2018年に叶い、ローラーズの故郷にいるんだと思っただけで感動で身体が震えたものです。
レスリーの奥さまから 『Bay City Rollers Fan JAPAN』に寄せられたコメントには、
「愛する夫であり父であるレスリー・リチャード・マッコーンの死を発表するのは、深い悲しみです。
レスリーは2021年4月20日火曜日に自宅で突然亡くなりました。
私たちは現在、彼の葬式の手配を行っており、深刻な損失のショックを受けてプライバシーを求めています。ありがとうございました。」と、書かれていました。
突然のことで気持ちの整理が付かないことでしょう。
レスリーというと、『My Lisa』が頭に浮かびます。
あの当時、レスリーファンの友達は、筆箱などにLisaと書いて、「Lisaになりたいな」と言っていたものです。
自分は、デレクがジュリーという名前が好きだというのを聞いてから、勝手に自分を”樹里”と言っていたんだよな。
レスリー・マッコーエンは4月20日にお亡くなりになりました。
65歳でした。
レスリー・マッコーエンのご冥福をお祈り致します。
ただただ、今日は あの当時を思い出し、ベイ・シティ・ローラーズ一色だった青春時代を楽しくエネルギッシュに過ごせたことに感謝致します。
レスリー、デレク、イアン、アラン、ウッディ、エリック、パット、有り難う。
レスリー、本当に本当に有り難うございました。
“レスリー・マッコーエン死去の知らせを友人からもらい呆然としております…”へ2件のコメント
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よくわかります。
あの頃の同級生女子の騒ぎ方は異常でした。
ブログの記事が重なったのも同世代ならではです。
ただ、アメリカのCNN日本版に記事があったのに、BBC日本版に載って無かったことが残念です(英語版はありました)。
本当にご冥福をお祈りします。
ありがとうございます。
男子の目から見たら、ホント異常だったことと思います。
お昼の放送で男子と衝突したことなどが今ではいい思い出となっています。
それだけ人生の中で影響力のあった存在でした。