『戦争の悲惨さといまわしい被爆体験を語る』で爆心地から3.7km離れた学校で被爆したお話を聞いてきました

『川崎市折鶴の会』会長 森政忠雄さんのお話をお聞きし改めて原爆は恐ろしいものだと実感いたしました…

東京新聞でたまたま目についた”よこはまインフォメーション”のコーナー。
その中のかわさきの欄に公開講座のお知らせとして今回参加させていただいた『戦争の悲惨さといまわしい被爆体験を語る』が載っていたのです。

平日の15時からで最初は無理かなと諦めかけましたけど、ふいに目に止まったは何かの縁と思い 申し込んでみたんです。
会場が川崎市の幸区にある幸市民館で、以前その近くに住んでいて何回か講座に参加したこともあり 急に懐かしさも込み上げてきたこともあるからでしょうか。

最寄駅から以前住んでいたところに寄り、子供たちの通学路だった道、そして愛犬の散歩をしたのもこの道だったなと歩いているうちに胸の奥に熱いものが込み上げていました。
うん、うん、今回の講座はこういう体験をさせてもらうだけでも参加して良かったなと一人歩きながらうなづいていました。

「あっ、あの美味しかったお肉やさんのコロッケを帰りに買って帰ろう」
と、そんなことも考えながら市民館にたどり着いたわけです。。。

お話をしてくださったのは『川崎市折鶴の会』会長 森政忠雄さん。
森政さんは1945年(昭和20年)11歳の時、爆心地から3.7km離れた古田小学校で被曝、爆発の瞬間のオレンジ色の閃光とキノコ雲を目撃。自身も負傷するも帰宅後避難者の救護に当たった。

戦争により勉強が遅れていたため、それを取り戻すのに夏休み期間も授業があり学校で被曝したそうです。

ピカッ!!! ピカッ!!! ピカッ!!!
オレンジ色の閃光が。。。
すごい爆風に飛ばされ。。。
空にはキノコ雲が。。。

原爆投下時の模様を想像すると怖くて恐ろしくて、顔がゆがんでいる自分がわかりました。

森政さんは今でも入道雲が見れないそうです。
それは、あの時見たキノコ雲と重なってしまうからと。

朝7時9分、7時13分に空襲警報が発令されたが、エノラ・ゲイは東のほうに旋回したので警報が解除。
また現れた8時13分に空襲警報が発令されたときには時すでに遅しで、原爆投下8時15分。

原爆投下13日前、ポツダム宣言を受け入れていたらと森政さんは話します。

悔やみきれない重大な判断ミス

このお話を被曝された森政さんからお聞きしていると胸が締め付けられる思いがし、手を強く握りしめている自分がいました。

竹やりで戦い切ろう、最後の一人となるまで戦おう
なんて、愚かな考えだったのでしょう。

長崎で被曝された中釜眞妹子(ますこ)さんのお話もお聞きしました。
2歳のときで記憶はあまりないとのことですが、父親の手記から原爆の悲惨さを語ってくださいました。
小さかったけれど、爆風が凄かったことは覚えているそうです。

家族全員被曝したことでガンを患い、ご自分も つい最近卵巣癌がみつかったことで やっとみんなの仲間入りができたと話された時は胸が苦しくなりました。

戦争の苦しみはずっとずっと癒えることがないのですね。

講座の帰りにお肉やさんに寄ってみました

美味しいコロッケは健在でした。
お店の人が若い世代にはなっていましたが。
ハムカツ、メンチカツ、コロッケをゲット。
ポテトサラダ&マカロニサラダも美味しかったです?

こうやって美味しいものが食べれる、空襲に脅かされることなく普通に暮らせていられることに感謝いたします。

 

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